2014年ケニアだより(3)観光篇

ルオ人のタクシー運転手さんが教えてくださいました。アメリカのオバマ大統領は、お父さんがケニアのルオ人です。ルオ人は、ファミリーネームの頭に「オ」が付くそうです。なので、「オサカ(大阪)」さんもいるとか。

「どこ出身?熊本じゃないの?」とモンバサのジーザス要塞にいたおじさんにニヤニヤして尋ねられました。「クマモト」はスワヒリ語で「女性器が熱い」という意味だそうです。

このように、日本人向けのネタを持つ日本人慣れした人もけっこういます…。ナイロビでお土産屋さんに寄ってみましたが、「ニーハオ、コニチワ」「コレ カワイイ」と日本語で呼びかけられたりも。日本語の貼り紙さえ見かけました。長い年月にわたる日本人との交流の証!?

とはいえ、時期的に外国人観光客はほとんど見かけませんでした。バオバブとインド洋を静かに楽しむことができたのはラッキーでした。

ジーザス要塞

ポルトガルが造り、その後オマーンがアラブ風に改築し、やがてイギリスが刑務所に使った遺跡です。世界遺産。


なにしろ大砲がたくさん。ずっしりした砲丸も。これが空を飛ぶのかと思うと、怖いです。

ガイドさんの服にも大砲が?イングランドのサッカーチーム「アーセナル」のウェアでした。応援してるチームだとのこと。

彼はマサイ民族の学生で、キリスト教徒。故郷の村に帰ればあの有名な赤い民族衣装を着て牛の世話をするそうです。ちなみに、マサイ民族は遊牧民なのでタンザニアとの国境をパスポートなしで自由に行き来することが許されてるとか。

マサイの諺(「一本の指でハエは殺せない」マサイの戦士もライオンを退治するときは10人前後で協力)や民話(二つの口を持つ巨人の怪談)も教えてくださいました。

オールドタウン

ジーザス要塞の近くにある古い町並み。アラブな雰囲気。

この辺りは隣国タンザニアのザンジバル島に雰囲気は似ています。実際、写真左上のような「ザンジバル・ドア」をいくつか見かけました。「ザンジバル島にあればペンバ島にもある」という諺がありますが、ケニアにもあるとは知りませんでした。

ジュンバ遺跡

600年前の建築物と思われる、詳細不明の廃墟ですが、アラブ風なのは確かです。ガイドさんは「オマーン人がたくさん住んでたけど、疫病が流行り、ほったらかしにされた」という説を支持。

ちょっとした資料室も。「クイズ・スワヒリ人はだれ?」パネルの裏に答えが書いてあります。近くには浜辺。

海岸地域に暮らし、バンツー系アフリカ人とアラブ人やペルシャ人との交わりから生まれた民族が、スワヒリ人。彼らのスワヒリ語が、内陸との交易でも使われて、やがて東アフリカの広い地域で公用語となったようです。

「英知とはバオバブの木のようなもの。誰もひとりで抱きしめきれない」という西アフリカの諺を実践(今回の記事、諺が多いですね…)。

そういえば、マラカスのようなバオバブの実(写真左)の中身(写真右)を露店で買いました。シュワシュワとしてちょっと酸っぱい、ラムネのお菓子のような感じでしょうか。栄養価も高いらしいです。

ハラー公園

冷静に考えたら、日本でも見られる動物たちですが…いちおう寄りました。

大きい動物もいいですが、このあどけない二匹が…。かわいすぎ!

以上は港町モンバサで仕事の合間に寄ったスポットです。

ナイロビ国立博物館

ナイロビでは国立博物館へ。

ケニアを代表する作家グギ・ワ・ジオンゴさんや、日本でも”MOTTAINAI”でおなじみノーベル平和賞の故ワンガリ・マータイさんについての紹介もありました。2007年の選挙がきっかけの暴動や、昨年2013年の「ショッピングモール襲撃事件」といった悲惨な出来事も、写真と説明書きがしっかり展示されてました。

次回はいよいよ、買い付けた布の一部をお見せします!

告知: 2月にバルーンスカートやワンピースなどの「受注会」を開催いたします。今回買い付けた布を、さっそく皆さまにご覧いただく予定です。
詳細は追ってお知らせいたします。お楽しみに!