おかげさまでアフリカワイイものたちがたくさん見つかり、いくつかの契約もまとまり、ほっとしています。
最近は西アフリカが続いたので、久びさのアフリカ南部での旅でした。
以前の美しいコットン畑が荒れてたり、知り合いの多くが国外に移住してしまったり、日常の買い物に外国通貨を使っていたりと、私が知っていた以前の姿とは変わってしまいましたが、それでもさすがジンバブエ、だいたいにおいて効率がよく予定通りに過ごせました。
マーケットで声をかけられながら、ショナ語もだんだんと思い出していきました。
ジンバブエ第二の都市ブラワヨ(ショナ人ではなく、少数派のンデベレ人が中心の都市)では、画家でデザイナーのクミラさんと知り合い、ンデベレのことわざを教えてもらえました。
試訳
「行く手について知りたければ、向こうから来る人に聞けばよい」
「ヘビクイワシはその羽毛とともにのみ死す」
「どんなに魅了されても、ダチョウの卵で遊んではいけない」
クミラさんの作品は「隠し絵」のような要素もあります。帰国したらアトリエに飾ろうと思います。
クミラさんはショナとンデベレの両方のルーツを持つそうですが、「自分はショナ顏」と言ってました。
「目と鼻と声が大きく、葬式をお祭りみたいにするのがショナ人、その逆がンデベレ人だよ」
はい、たしかにンデベレ人と日本人は顔も似てると感じます。
ほかにも興味深い民俗学的な話を聞かせていただきました。
実はお爺さんの世代はサザは食べてなかったとか、西アフリカ人とショナ人との見分け方とか…(^^) メルマガの素材にさせていただきます。
ショナ人の「拍手」しながらの挨拶も実演してくださいました。
(…youtube動画を帰国したらここに埋め込みます…)
第三の都市マシンゴでは、買い付けの帰りに「グレートジンバブエ遺跡」へ。
十年前にも観光したのですが、今回は「ぼく、ジンバブエ人だけど行ったことがない」という取引先のアシスタントBくんと、女子大生のガイドさん付きで。
「アクロポリス」を登ります。
けっこうシンドイです。
落ちそうに見える岩が多いのですが。
「ぼくも撮って」とポーズを取るBくん。
「グレートエンクロージャー(大囲壁)」は日本の平安時代に作られたようです。
ガイドさん「アフリカではエジプトのピラミッドに次いで大きな石造建築です」
「この塔は見張り台だとか、モロコシの形を模したとか、諸説あります」
グレートエンクロージャー内部は、その静けさがたまりません。
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今回の旅でも、キリンを間近に見せてくださった「先生」や、商談等をオーガナイズしてくださった方をはじめ、たくさんの現地の方にお世話になりました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
貧困に陥っている未亡人のための支援活動をしているPさんの言葉が印象に残ります。
「問題の全体を見ようとするとやめたくなるので、目の前のできることをちょっとずつやることにしてます」
そのPさんがマネジメントに関わっている、とてもかわいい手づくりバスケット。このたび梅田洋品店との取引が決まり、嬉しいです。お店に並ぶ日をご期待くださいね。
そろそろ帰り支度をしなければなりません。