私のイチオシの小説家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェさん。上の映像は2009年のものですが、2010年には講演のために来日もされました(私も聞きに行きました)。
そしてつい先日、短編集『明日は遠すぎて』が出版されました。
『明日は遠すぎて』
『アメリカにいる、きみ』同様、翻訳者くぼたのぞみさんが編んだ日本限定オリジナル短編集で、
長編ラブストーリー『半分のぼった黄色い太陽』に続く三冊目の邦訳です。
今回も舞台はナイジェリアやアメリカです。
今回も満足させていただきました。
『がんこな歴史家』という作品は、まず設定が面白いと思いました。
その昔、ヨーロッパ人がキリスト教を普及しにナイジェリアのある村にやってきます。
一夫多妻制や呪術師など、伝統的な生活様式が登場します。
三代にわたる村の家族の歴史が描写されます。
わくわく…。
短編なので駆け足で描かれますが、ぜひこのお話をじっくりと長編でも書いてほしいです。
そういえば、アディーチェの大先輩にあたるチヌア・アチェべ『崩れゆく絆』も似た設定でした。(絶版なので図書館などで)あわせて読むと、伝統的な生活のイメージもよりふくらみます。
南アフリカで開かれる小説のワークショップが舞台なのが『ジャンピング・モンキー・ヒル』。
アフリカを複眼的に見ず、偏ったイメージで捉えてしまうこと(彼女の講演での言葉で言えば「シングル・ストーリー」)を痛烈に批判するこの作品。
思わず声を出して唸ってしまうような痛快さがあります。
また、私たちの「アフリカへの偏見度」が測れる作品だとも思いました。
ちなみにこの物語、ナイジェリア以外のアフリカの国々の小説家も登場するのですが、ケニア人作家のモデルはビンヤヴァンガ・ワイナイナなのかなー、などと想像しました(くぼたさんのブログ参照)。
彼の「アフリカについて書く方法」というネットに掲載されてた文章も皮肉たっぷりでした。
「必ずタイトルには『アフリカ』や『暗黒』または『サファリ』と付けなさい…最後はネルソン・マンデラの言葉で締めなさい…」
フェラ・クティがコンサートで語った言葉も紹介しておきましょう。
「まったく未知の、何か新しいものとして私を見てほしい。
なぜなら君たちがアフリカに関して得る情報の99.9%は間違っているのだから」
とはいえ、アディーチェのこの短篇集では外部による「シングル・ストーリー」への批判ばかりではなく、作者と同じナイジェリア人の特定の階級の人たちをチクリ、チクリと風刺している印象もうけるはずです。
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★さて、アディーチェさんの作品は必ずしもアフリカ文化や政治の詳しい事情を知らなくても楽しめると思います。
ですが、すでに本書を買った人がさらに小説世界を楽しめるように、ブログの利点も活かして補足情報をすこし書いておきます。
1. 『震え』に出てくる主人公がひと目惚れしたというブルキナファソの元大統領「トマス・サンカラ」は、ハンサムで名高いと描写されています。
下のステッカー(2007年にブルキナファソで入手したものです)がサンカラさんですが、たしかにハンサム。ベレー帽がお似合いです。アフリカのチェ・ゲバラとも呼ばれます。
国の改革の途中で暗殺されてしまいました。
ジャン・ジグレール『世界の半分が飢えるのはなぜ?』にも印象的な孤高の軍人革命家として登場していました。
2. 『クオリティ・ストリート』には「Pスクエアー」が出てきます。
彼らはナイジェリアの双子男性デュオ。最近はエイコンとも共演してます。
P.Square – No One Like You
この曲が好きで去年、仕事中によく聴いてたので名前が出てきて嬉しいです。
3. 『シーリング』に出てくる「アフリカ・マジック・チャンネル」はドラマやトーク番組などが楽しめるテレビチャンネル。しかも私がアフリカ出張で衛星放送が観られる環境にいれば、必ずチェックするチャンネルです。これも名前が出てきたときはニヤリ。
4. 同じく『シーリング』で、主人公の元カノがフェラ・クティの曲で「ラン、ラン、ラン」というコーラスにあわせて踊る、という描写。
きっとその曲は “Sorrow, Tears and Blood” でしょう。
ええと、あら、こんなところですね。
どうぞ豊かなアフリカ文学体験を。
梅田洋品店の梅田昌恵です。アフリカ諸国へユニークな布や雑貨を買い付けに行き、南青山の小さなアトリエでオリジナルのファッションアイテムに仕立てています。このブログではアフリカのこと、作品のこと、イベントやオンラインショップからのお知らせなどを綴ります。